2025年5月の渡航日記⑤プノンペンの観光名所
スォ スダイ!
髙林です。
今回は連続投稿!
プノンペンの名所のご紹介です。
少々刺激的な内容も含まれております。
カンボジアは「Kingdom of Cambodia」、
つまり「カンボジア王国」と言う事で、”王宮”があります。
ここは一部が一般公開されており、
敷地内を見学することができます。
門を開けて入ると、それっぽい石像が並んでいる道が続き…
ど~んと壮大なスケールの建物がいっぱい!
中に入れるところもあり、
そこには当時の武具や金の仏像など、
歴史的資料がたくさん展示されていました。
圧巻だったのは、この壁画。
カンボジアの歴史を「絵」で表現されているそうです。
人間を悪魔や猿に見立てて、何メートルにも渡り、
描かれていました。
ここからは、カンボジアの悲しい歴史について…
トゥール・スレン虐殺博物館です。
今から約50年ほど前のプノンペン。
クメール・ルージュと呼ばれる反政府組織が、
政治犯を収容していた施設です。
元々は高校の校舎だったそうです。
後に首相となった「原始共産主義」を掲げたポル・ポトの、
独裁政治や大量虐殺を支持したのも、このクメール・ルージュでした。
2年9か月の間に、約20,000人が収容され、
生き延びたのはわずか8人。
そこでは、壮絶な拷問が行われていたと言う事でした。
鉄製のベッドに足枷。
当時のまま残されています。
大人が手を広げるぐらいの、狭い部屋がいくつもあり、
連れてこられた人たちが、収容されていたとの事でした。
展示品は当時の写真や、拷問方法の絵、
虐殺された方たちの頭蓋骨など、
平和な日本で生まれ育った私には、
ただただ呆然と、それを眺めることしかできませんでした。
トゥール・スレン虐殺収容所を見学し、
カンボジアのリアルな歴史に触れた後、
次に向かったのは…
「キリング・フィールド」。
極端な重農主義・農本主義の政治を行ったポル・ポト。
公務員・医者・政治家など知識人を始め、
腕時計をしている、メガネをかけている、二か国語以上話せる…など、
貧富の差を生むものを廃止するため、
それらの人々を大虐殺していきました。
その数は200万人以上とも言われていますが、
正確な人数は不明で、今でも被害者の骨が出土する事があるとか。
広場にはさまざまな方法で虐殺され、埋められた解説文が
いたるところにありました。
そして、この木が、この広場で最も有名で、
虐殺を物語る木…「キリングツリー」です。
虐殺の対象は、大人たちだけではありませんでした。
その家族、時には幼い子供、そして…赤ん坊まで。
泣き叫ぶ赤子の足首を持ち、頭を木に打ち付けたと言います。
木には多くのお守りが供えられていました。
あまりに凄惨なこの場所は、現在もそのままの姿で、
どこか異様な、そして寂しげな空気感がありました。
最後に立ち寄ったのは、大虐殺に至るまでの動画を
見せてくれる場所。
我々以外にも海外の見学者が多く、
中には動画途中で席を立つ人も…
これが約50年間に実際にあった事だと思うと、
平和がいかに大切か、改めて思い知らされます。
と言う事で、今回はカンボジアの観光名所と、
その歴史について少し触れてみました。
今でこそ民主化が進むカンボジアですが、
私が産まれた少し前のかの国は、
生きる事すら、ままならない世界だったと言う事実。
色々考えさせられる時間でした。
次回は恒例の「食」。
乞うご期待!