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カンボジアの観光スポット③ 平和を実感する施設

スォ スダィ!

髙林です。

今回は、少しカンボジアの歴史に触れる内容です。

 

プノンペンの街中に、突如現れるトゲトゲの門。

ここがToul Sleng Genocide Museum(トゥールスレン虐殺博物館)です。

クメール・ルージュ時代のS-21収容所跡を保存した、

博物館・追悼施設です。

今から約50年ほど前のカンボジア。

1975年4月17日。クメール・ルージュがプノンペンを制圧。

「民主カンプチア」と呼ばれる体制を作りました。

彼らが目指したのは「農業を中心とした革命社会を短期間で作る」でした。

貨幣、財産、都市、市場経済…は不要。

極端な原始共産主義と呼ばれる思想の「ポル・ポト政権」による、

虐殺が行われた場所です。

↑当時、拷問に使われていた鉄製のベッド。

拘束時に使われた、鉄の手錠や鉄球、

拷問する時に使用する道具や、

それを指示していたであろう机が、そのまま残っています。

↑元々この施設は高校でした。

この学校をクメール・ルージュが極秘の試案施設「S-21」にしました。

教室は、独房や集団房、尋問室や拷問室に変わり、

1975年~1979年の4年間に約15,000~20,000人が収容されたとされています。

記録が曖昧なため、あくまで「最低限」の数字です。

収容された人たちは、写真撮影に始まり、氏名、経歴、家族関係、人間関係など、

その人の情報を記録されます。

その後は身に覚えのない「罪」を強制的に認めさせる尋問が始まります。

「私はCIAのスパイです」「私はベトナムのスパイです」「私は革命を裏切った行動をしました」

など、「自白」させるために、数々の拷問を行い、架空の犯罪を認めさせていきました。

↑大人が両手を広げたぐらいの部屋。

設計もバラバラで、足をのばしては寝られません。

来る日も来る日も尋問と拷問…

罪を認めると「では、誰と一緒にやったんだ!?」とさらに尋問が続き…

 

「誰かの名前を言わなければ、自分は助からない。」

そこで知人の名前を口にし、名前が出た者は拘束され、

また身に覚えのない罪を認めさせられ、他の人の名を告げ…

と、出口のない「負の連鎖」が起こった場所です。

現代に残る博物館。

私が生まれた頃、カンボジアでは、

「今日を生きられるかわからない」

そんな日々が続いていたのが、現実です。

 

次回は、引き続き「カンボジアの歴史」を。

平和の大切さを改めて実感するために…

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